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6月, 2023の投稿を表示しています

花に何を見るか

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長沼 油彩 大竹です。今回ご紹介させて頂くのは、長沼さんの油彩作品です。左はクリスマスローズ、右はシクラメンを描いています。 左の作品では、様々なクリスマスローズが所狭しと咲いています。何か1つを主役にするのではなく、画面全体に花が咲いている空間作りがされていますね。 花壇である以上、人の手入れがされている花々ですが、そこから抜け出してきそうな力強さと言うのでしょうか、どこか無秩序な印象もあり面白い画面です。大人しく花壇や鉢植えに収まるのではなく、自由に葉を伸ばして生きている姿は、保護者の扶養の下、自由に活動する学生の様です。そう思うと、なんだかこの場所は学校の様にも見えてきますね。 花びらの特徴を捉え、1株1株を丁寧に描き分けています。俯き気味の萎れた様にも見える表情、まだまだ瑞々しい花びら、これから咲くであろう蕾までと同じクリスマスローズでもその様子は様々で、作品を鑑賞するたびに新たな発見がありそうですね。 ちなみに題材のクリスマスローズ、他にも黄色やピンクといった色も存在する様で、かなりバリエーションに富んでいる花だそうです。 右のシクラメンは先ほどの作品とは対照的に、主役1点に絞って画面が作られています。また、こちらは小さな鉢植えに収められ、室内に飾られています。(そういえば、長沼さんご自身は意図したものではないでしょうが、過去にブログで紹介させて頂いた作品も、ちょくちょく対になる様な2枚を制作されていましたね) 画材は油彩ですが、背景が金箔の様にも見える鮮やかな黄色により、どこか和を感じさせますね。背景の黄金はシクラメンの紅をより一層引き立てています。植木鉢や土台の輪郭は定規で引いた様にピシッと切り取り、人工物の無機質さと花や葉の自然物の柔らかさを対比させているのでしょう。 実は左の作品と比べ、こちらの作品は少しサイズが小さいものでした。しかし、こうして見てみると小さいキャンバスながら目を惹く存在感がありますね。 長沼さんの植物の作品を見るたび、北村佳代子先生(https://www.kayokokimura.com/works.html)の作品と対極にある様に感じます。北村先生の作品は植物の遺影にも感じられる(死を連想させる)のに対し、長沼さんは今生きている新鮮な植物の姿を描いている様に思います。 長沼さんご自身は「もっと花の儚げで繊細な部分を描きたいの...

三兄弟シリーズ、3作目です。

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永瀬 油彩 大竹です。今回ご紹介させて頂くのは、永瀬さんの油彩作品です。永瀬さんの息子さん三兄弟と母のシリーズの3作目、ラストの三男君です。( 長男さん 、 次男さんの作品 ) 永瀬さんの作風である、薄くガーゼを折り重ねたような質感が、柔らかい肌や布を表現しています。絵具の持つ深みをどこまでも掘り下げていく様な色作りがとても魅力的です。 背景は鈍い緑でまとめ、主役である親子の服装の色を引き立てています。この壁の色だけでも、眺めていると様々な色が見えてきそうです。どの作品も、数ヶ月かけて制作されていますが、その間に絵の雰囲気が二転三転する事は珍しくありません(むしろ、しない方が少ない?笑)塗り替える過程で、元の絵が下地の役割を成して絵により一層深みを与えているのでしょう。そう思うと、制作中の気変わりも必要な制作過程の一部なのかもしれませんね。 穏やかな親子の様子とは裏腹に、背景は決して明るく穏やかなものではなく、どこかほの暗く不穏な予感を感じさせます。 1作目の作品 について描かれていた 「聖母子像というのはきっと母親になった女性には描けないと思います。神聖化して絵の題材にできるのは、客観的にしか子育てに関わらず毎日の慌ただしい現実を知らない男性が描くものではないでしょうか?」 という言葉に、この母子像シリーズの意図が詰まっているのではないでしょうか。 私に自分の子供はいませんが、週に一日、80分だけの授業でも、子供たちのパワーには毎回圧倒されてしまいます。たった80分だけでヘトヘトなのですから、ご家庭で毎日一緒に過ごされるご両親を思うと尊敬の念が絶えません…。子供はただ可愛いだけの生き物ではありません。すでに2人のお子さんを育てられた経験から、この先に待ち受ける苦労を予測しているのでしょう。そう思うと、穏やかに赤ちゃんを見つめる母に対し、赤ちゃんの視線は別の方向を向いているのも、まさに親の思うままにはいかな子供の様ですね。 窓の外(外の世界)も室内と同じ様に、明るくない所がまた見る人の想像を掻き立てます。 制作準備にあたり、当時の三男さんのお写真や映像を探したそうなのですが、「資料となる写真を探したら、三男のものが全然ないんです。長男、次男で沢山撮ったので、もういいかなってなっちゃてたんですかね?親としては申し訳ないなぁと思っているのですが、本人は全然知ったこっちゃ...

穏やかに流れる時間

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平井 アクリル  大竹です。今回ご紹介させて頂くのは、チケット制の平井さんの作品です。毎月1回お越し下さり、着々と制作を進めていかれました。乾燥が早いアクリル絵具は、素早く描くのに向いていますね。 ゴツゴツとした川辺の岩肌が何とも魅力的ですね。普段歩いている時には地面を気にして歩く事は殆どないと思いますが、このように魅力的に描かれた作品を見た後だと、普通の地面も面白いモチーフとして目に映ってくるでしょう。アクリルの濃さを調整し、絵の具を厚く塗る部分と、薄く溶いてほんのり色味を乗せた部分の使い分けも見事です。 また、空の光が反射する川の色合いも美しいですね。殆どが暗いグレーに近い色で塗られており、その中には青や緑、黄色といった様々な色が含まれています。美しい色というのは、鮮やかなものだけではないことが良く分かりますね。 左奥の山々は輪郭をかなりぼかしつつ、色合いで紅葉に入りかけの緑であることが伝わります。制作の際、どこまで描いて、どこまでは描かないかのバランスは難しいですが、平井さんは主役(魅せたい部分)とそうではない所がブレずに描き分けられています。 手前から奥へと続く川は鑑賞者の視線を導き、密度の高い下画面から上の空へと向かう事で開放感をも与えてくれるようです。穏やかな川に浮かぶ舟は、これから出発するのかそれとも戻ってくる所なのか分かりませんが、この作品の柔らかな雰囲気を担ってくれているのでしょう。 月に1回という限られた時間の中で、毎回しっかりと制作の歩みを進められているので、意外にもハイペースな制作となっています。是非これからも、精力的に制作を続けて頂けたら嬉しいです。

車シリーズ第6弾

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  幸太朗 高1 油彩 大竹です。今回ご紹介させて頂くのは、学生クラスの幸太朗さんの油彩作品です。彼の車シリーズも6枚目となりました。ルノー社のルーテシアという車種を描いています。( これまでの作品 ) これまでは大好きな車と比べ、背景への愛のなさが課題でしたので、背景も同じくらい時間をかけて描いていきました。奥から手前へと道が伸びていくので、その遠近感を出すために手前は密度を高く色の変化も多用し、奥はフラットに絵の具も控えめにのせて描いています。 川の影になってほぼ真っ黒になっている部分は、これまでは単調に黒のベタ塗りをしていましたが、他が色を多用している中ではそこだけ塗り絵のように見えてしまう為、黒の中にも赤みや青みを見出せるよう混色した黒を使用しています。 一番最初に描いた車シリーズも油彩 でしたが、それと比較しても使える色の幅が大幅に増えました。中1から高2への成長っぷりが、作品を通じて伝わってきますね。 車の方も、手前が影になっている逆光の構図でしたので、色づくりに苦労しましたが、主役となる赤色が印象的な仕上がりとなりました。光沢も単純な白だけではなく、青味がかったグレーを入れたりと冷静に物を観察する事ができています。彼は美術系の学生ではないので、デッサン力といった技術はそうした人達には及びませんが、その分モチーフに対する情熱と根気がここまで絵を魅力的にしているのでしょう。 次回ももちろん車に取り組んでいます。重厚な油絵の後ですので、ペン画のような軽めなものから手慣らしをしていく予定です。次回作もお楽しみに!

星峠の棚田

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長沼 油彩 大竹です。今回ご紹介させて頂くのは、大人クラスの長沼さんの作品です。こちらは新潟県の十日町にある星峠の棚田を描いています。にほんの里100選にも選ばれている景色であり、実際にご旅行で現地に行かれたそうです。 立ち込める雲海が陽光を受けて色付く様子は、まるで神の国のような神秘を感じます。油彩で半透明なものを表現するのは絵の具の性質上少々難しいのですが、雲の厚みのある部分と薄く透けている部分を、幾層も絵の具を塗り重ねる事で表現されています。 水が張られた棚田は大きな水鏡となっており、空の色を映し出していますね。水田の数は200枚以上あるそうで、この雲海の下にもまだまだ水鏡が隠れているのでしょう。あえて一部分が隠されている事で、見えない部分の想像が掻き立てられる為かより奥へ広く続いているように見えてきますね。太陽の光が文字通り地面へと差している様子も美しいですね、光という形のないものがよく捉えられています。 描写の多い棚田と比較して、空は雲一つないフラットなものとなっていますが、オレンジから青への色の移り変わりを丁寧に追う事で薄っぺらい空には見えず、しっかりと空気の層を感じる事ができますね。描写の少ない単調に見える部分こそ、どのように魅せればいいかを考えなくてはなりません。(シンプルなものほど、絵として魅せるには難しいからです) 現地に取材に行った甲斐もあり、作者の描きたいもの・主題が明確な1枚となりましたね。こちらの作品が描きあがった翌週に疲労でお休みされていたので、それほど力を入れて描かれていたのでしょう。まさに命を削って描かれてると言えます。